2016年度活動報告冊子


宮野森小学校の国際交流活動2016

宮野森小学校 新校舎、写真提供:宮野森小学校  
東松島市立宮野森小学校は、旧宮戸小学校と旧野蒜小学校が統合して2016年4月に開校した、全校児童144人の新しい学校です。ふたつの学区はともに大きな津波の被害を受けました。当初は旧野蒜小学校のプレハブ仮設校舎で開校しましたが、2017年1月から集団高台移転地である野蒜北部丘陵の新校舎で子どもたちは学んでいます。
旧宮戸小学校の国際交流活動を引き継ぎ、2016年度は6年生がアチェとの交流を行うことになりました。8月に事前学習としてアチェから来た若者たちとの交流、12月にアチェの小学生とスカイプ対話を行いました。さらに、当初は予定していなかった特別支援学級・4年生・5年生でも、それぞれのテーマでアチェと交流を行うことができました。

アチェから来た3人と日本の学生3人を紹介  

アチェの若者たちとの交流ワークショップ

8月24日(水)9:30〜11:30 夏季学習会
宮野森小学校 仮設校舎 音楽図書室
6年生40名とイスナン、サフリアン、ラウダーの3人
1組担任 安海武英先生、2組担任 鎌田貴子先生

12月の子ども同士のスカイプ対話に向けた事前学習として、来日中のアチェの若者たちと6年生が交流しました。アチェ伝統の祭礼衣装で登場した3人が、アチェの地理や社会、祭や食べ物などの文化について、写真や実物、体験を交えて紹介。ある有名な建物の写真を見て「何の建物でしょう?」というクイズでは「市役所?」「宮殿!」などの回答が出ました。正解は「グランドモスク」。イスラム教の礼拝所でした。休憩時間にも子どもたちが3人それぞれを囲み、食べ物の辛さや服装のことなど、より詳しく知りたい様子で質問していました。
3人は最後に、2004年12月26日の大津波によるアチェの被害と町の復興の様子、観光地になっている津波遺構(民家の屋根に載ったままの船など)を紹介。「震災はいつでも起こりうるからいつでも備えていよう」、「自分たちの文化を大切にしよう」と伝えました。子どもたちは熱心にメモをとっていました。

モニターに向かって手を振る子どもたち  

6年生の対話「アチェの人に東松島の良さを伝えよう」

2016年12月16日(金)10:30〜12:05
宮野森小学校 仮設校舎 6年1組教室
宮野森小学校 6年生40名 
アチェのコウゲツスクールで日本語を学んでいる小学4〜6年生16名
1組担任 安海武英先生、2組担任 鎌田貴子先生、国際交流担当 小鹿朝絵先生

子どもたちは自分たちの地域の史跡や伝統行事、自然などを調べ、アチェの人に分かりやすく伝えようと準備してきました。対話の当日は、宮野森から「スラマッパギ!」、アチェから「こんにちは!」のあいさつでスタート。前半はアチェの子どもたちが、有名な建物(モスク)、昔の道具(脱穀機)、津波博物館の展示についてクイズで紹介してくれました。後半、宮野森の番になり、「ツリーハウス」、「里浜貝塚」、「東名運河」など、子どもたちは緊張しながらも話し、アチェの子どもたちが驚いたり頷いたりしてくれるのをうれしそうに聞いていました。
一番盛り上がったのは気温の話題です。アチェ「日本は今どんな季節ですか」日本「季節は冬で雪が降ります。気温は5度くらいです」アチェ「ええ~!!」日本「そちらは今何度ですか」アチェ「31度です」日本「えええ~!!!」お互いに大発見だったようです。最後にはお互いの国歌を歌い合いました。  宮森小の子どもたちにとって、とても刺激的で,世界を知る第一歩となった1日でした。(小鹿朝絵)。

 宮野森小の子どもたちの感想から
「スカイプを通して話したけど、実際にそこにいるように感じました」
「アチェの小学生はみんな元気で、反応が大きくて楽しそう」
「またいつか交流してぼくの顔を覚えてほしいです」

対話を楽しむ子どもたち  

特別支援学級の対話「インドネシア・アチェのお友達とテレビ電話でお話しよう~話すとき、聞くときの大事なことをもとにお話しよう」

2016年10月31日(月)
宮野森小学校 仮設校舎 わかば2組教室
宮野森小学校 わかば学級児童4年生1名、5年生1名
アチェのコウゲツスクールで日本語を学ぶ小学生6名
担任 宮﨑敏明先生

特別支援学級の子どもたちは、宮野森小の先頭を切って、10月にスカイプ対話の本番を行いました。アチェの日本語教師ハナフィさんとSNSやスカイプで打合せを重ね、9月には、日本や宮野森小の行事を色紙に書いてアチェに送ったり、ビデオレターを作成したりしました。  
そして迎えた本番。初めて見るアチェの子どもたちに、やや戸惑う宮野森小の子どもたち。しかし、その目は輝いていました。笑顔で自己紹介もできました。「ここまではいいのだ」そう思いながら、互いに好きな食べ物を教え合う子どもたちを私は見守っていました。
それは、事前にアチェに送ってあった日本のお菓子を画面越しにいっしょに食べたときに起こりました。宮野森小の子「味はどうですか?」アチェの子「イチゴ味がおいしい」などといった対話が、まるで互いに目の前にいる子と話すかのように、間髪入れずに進んでいきました。
スカイプでアチェの友だちと話したということが自信につながり、その後の学校生活での自己肯定感が大いに高まった特別支援学級の子どもたちです。(宮﨑敏明)

宮野森小の子どもたちの感想から
「またアチェの子とお話ししたい」
「スラマッシアンというあいさつや、ナマサヤという名前の言い方がわかった」
「お家の人にアチェのお友だちとしゃべったと教えたい」

4年生の教室の様子  

4年生の交流「アチェと東松島 それぞれの一日の生活を絵で見て交流しよう」

2016年12月19日(火)
宮野森小学校 仮設校舎 4年1組教室
宮野森小学校 4年生26名
アチェ州ランビラ村の小学4〜6年生26名
担任 高畑由紀子先生、国際交流担当 小鹿朝絵先生

地球対話ラボの大学生メンバー岡田優紀さんの企画が実現し、4年生が絵画を通じてアチェの小学生と交流しました。岡田さんがアチェの小学校でワークショップを行い、1日のある時間の生活の様子をひとり1枚ずつ描いた絵を持ち帰ってくれました。帰国したばかりの岡田さんをゲストティーチャーとして招き、ビデオや絵を見ながら、アチェの生活についてお話を聞きました。  中でも子どもたちが驚いていたのは、朝5時くらいに起きること、勉強熱心なこと、1日に何回もお祈りをしていることでした。アチェの子から学ぶことは多かったようです。絵を交換することで、言葉の壁のないコミュニケーションを実感した交流でした。
宮野森でも同様に自分たちの1日の生活を描いて、郵便でアチェに送り、ランビラ小学校で見てもらいました。(小鹿朝絵)

宮野森小の子どもたちの感想から
「絵が上手かったです」
「鳥を自分たちで育てるなんてびっくりです」
「アチェの子は家の人の手伝いをするなんてすごいなと思いました」

授業のあと、ナシゴレン(インドネシアの焼飯)を
試食  

5年生の対話「アチェの米作りについて学ぼう〜日本とインドネシアで米作りについて交流しよう」

2017年1月13日(金) 45分間
宮野森小学校 新校舎5年1組教室
宮野森小学校 5年生22名
アチェのKSA(コウゲツスクールを運営するNGO)メンバーの大学生たち
担任 髙橋馨先生

「アチェに行ってみたいなあ」と書かれた1行の文。ふだん自分の気持ちを素直に表せない女の子の感想です。
宮野森小では5年生が社会科で米作りに取り組んでいます。馬を使った耕作など昔の稲作も体験し、秋に収穫を行いました。6年生がアチェと交流していた関係で、インドネシアでもお米を食べることを知り、お互いの米作りをテーマに対話をすることになりました。
子どもたちは東松島市での米作りの様子や、自分たちで収穫した米で作ったクッキーや海苔巻きなどを紹介しました。インドネシアの米は細長いこと、アチェでは田んぼの耕作に水牛を使うこと、日本では見ない色のケーキの紹介に、子どもたちは目を丸くしていました。時間が足りず、予定していた内容を全て話すことはできませんでしたが、終了後にナシゴレン(インドネシアの米料理)を試食したり、アチェの大学生が制作したお米のケーキ作りの動画を見たりして、子どもたちはアチェの食文化に高い関心を持ちました。冒頭に紹介したのは、その後の感想の一つです。(宮﨑敏明)

宮野森小の子どもたちの感想から
「日本の米はインドネシアの米よりも育つのが遅くて驚いた」
「米の形やにおいがちがっていたのでびっくりしました」
「ラピッスケーキの色に興味があるので作ってみたい」

交流をふりかえって

手を挙げて質問する6年生(右は小鹿先生)  

ふるさとを見つめ、世界と向き合う子どもたち

小鹿朝絵

今年度のアチェとの交流は私にとって新しい挑戦でした。国際交流担当になって3年目ですが、宮戸小学校での交流とは児童の人数や実態、インターネット環境も違い、進め方に不安がありました。宮野森小学校で初めての事前授業では、東日本大震災の後から宮戸小学校でアチェと交流してきたこと、アチェもスマトラ島沖地震で津波の被害があり、お互いの地域のことを知って励まし合おうと話しました。
8月にはアチェから3人の若者が来て、アチェでの生活や文化、津波の経験などを話してくださいました。子どもたちは興味深く聞き、「リオオリンピックでメダルを何個取りましたか」とか、「アチェにもポケモンGOはありますか」など、時事的な質問も出ました。休憩時間に自分から話しかける子どもたちの姿からは、異なる文化や人への興味・関心が高まっているのを感じました。
12月のスカイプ交流では、子どもたちの伝えたい言葉が多くて、通訳のハナフィさんに苦労をかけてしまいました。時間配分にも課題があり、内容を絞ったり方法を工夫する必要があるとわかりました。
当初は、子どもたちのコメントの中に、相手を「遅れた地域」と見るものが、少数ですがありました。しかし若者との直接交流、子どもとのスカイプ交流の後のふりかえりでは、それが消えました。子ども同士だからこそ通じ合うものもあるようでした。6年生の活動をきっかけに、5年生や4年生でも交流を行い、学校全体に少しずつアチェや外国への関心が高まってきています。
震災により地域の様子が変わってく中で、自分たちのふるさとの良さをもう一度見つめ直し、アチェに発信した経験は、これから地元を復興していこうとする意識につながると思います。また、世界には様々な人々がいて様々な生活があることに気付き、広い視野で物事を考えていく手助けとなったと思います。これからもアチェとの交流を通して、子どもたちの成長を見守りたいです。

5年生の米作りの様子  

スカイプ対話という教育実践

宮﨑敏明

「スカイプ対話は、特別支援学級の子どもたちにとって本当に必要な教育なのだろうか…」このような迷いが4月にはありました。しかし、相手の話を基にして感じたことを話す等のコミュニケーション能力に課題がある子どもたちだからこそ、アチェの子との対話は突破口になると信じ、準備を重ねてきました。たとえば色紙やビデオレターづくりは、基本的なコミュニケーション・スキルの習得につながる学習となりました。
「突破口」の瞬間は、アチェ側と同時に日本のお菓子を食べた時。「味はどうですか?」と自然な問いかけが生まれ、アチェからの応答によって会話が続いたのです。子どもたちの感想からも、この実践を楽しみ、自信をつけたことが見て取れます。また、他の学年に先駆けてアチェと交流し成果を出したことで、普通学級の子どもたちにも「わかばの子はすごい」「自分たちもやりたい」という雰囲気が生まれました。
もうひとつ、私には特別支援学級で取り組む理由がありました。2013年から宮戸小学校で子どもたちと共にスカイプ対話を経験してきて、この教育実践は「子どもたちの思考が活性化し、真剣に課題に立ち向かう状況をつくる」という実感を宮野森小学校の先生方に伝えたいという思いです。ちょうどこの授業を10月の県教育事務所による学校訪問指導で行うことができ、先生方にも知ってもらうことができました。12月の6年生の授業に向けて、対話の具体的な方法や内容を示す機会ともなりました。
さらに、6年生の授業を見た5年生の担任が、米作りをテーマとしたアチェとの交流に教育的価値があると考え、急遽1月の対話へと連鎖していきました。
5年生の対話では、外国の稲作や食文化への興味・関心が高まったこと、聞き手を意識した話し方など表現力の向上や、相手に伝わりやすい見せ方を工夫する意欲が見られたと報告されています。こうした評価からも、「スカイプによる対話は、子どもたちの思考が活性化し、真剣に課題に立ち向かう状況をつくる」。この私の実感を、宮野森小学校の先生方と共有することができたのではないかと思っています。

スカイプで話すハナフィさん  

アチェの子どもたちにとっての対話交流

アチェ側コーディネーター・通訳
ハナフィ(HANAFI)
日本語教師/KSA(Kougetsu School Association)顧問

私はアチェの子どもたちのプログラムのコーディネーターとして、2014年から地球対話ラボと協力を始めました。  最初にこの交流プログラムを知ったとき、アチェで小学校の生徒たちとただ遊ぶためだけに、なぜ日本人はお金を捨てたいのかと考えました。しかし私のその考えは大きな間違いだと気づきました。ずっとこのプログラムに参加してきて、このプログラムでアチェ人も日本人も、たくさんの良いことを得ているのがわかりました。特にアチェ人と日本人の子どもたちの将来についてです。私はこのプログラムにずっと関わっていきたいと思っています。

このプログラムでアチェの子どもたちはたくさん新しいことをもらいました。
たとえば・・・
・彼らは日本の新しい友だちができました。
・日本の子どもたちの生活の知識と文化が、彼らの勉強になりました。
・日本の友だちとコミュニケーションをとるための方法と道具を得ました。
・アチェの子どもたちは、外の世界の友だちに、アチェの彼らの生活をどうしたら見せることができるかという方法も得ました。
ほかにもアチェの子どもたちが得た良いことは数え切れないほどたくさんあります。

アチェの子どもたちは、この対話に参加してから変わりました。アチェの子どもたちは孤独を感じることはありません。彼らは世界にたくさんの友だちがいます。津波という同じ運命の友だちがいます。日本の友だちとコミュニケーションをとることができて、彼らの考え方が変わりました。彼らは互いに愛し合い、互いに助け合い、友だちを困らせたくない、戦争をしたくない、互いに殺し合いたくない、彼らは友だちのようにそれぞれの国でこの世界で平和を作りたい。友だちがいたら、この世界の中にある問題にもっと勇敢な気持ちで立ち向かえます。
 
この対話は本当にすばらしいです。子どもたちがまだ幼いときから、彼らが将来に向けて正しい道を探すのを手助けすることができると思います。
この対話の相手を、小学校の生徒たちだけではなく、中学生、高校生、大学生や普通の人、たとえば年をとった人ともやってほしいと思います。おそらく彼らを誘えば、もっとたくさんの話からいろんな人の深い経験を聞くことができると思っています。
私の希望は、このプログラムをアチェでずっとやってほしいということです。
ありがとうございました。

アチェの若者たちと共に

アチェで活動する2つの子ども支援団体、KSAとTPMTは、2014年から地球対話ラボの現地パートナーとして、交流プロジェクトに協力。双方から選ばれた活動メンバーがチームをつくり、子どもたちの交流や地球対話、アートワークショップなどの運営サポートに取り組んでいます。毎年メンバーのうち数名が来日し、宮戸小学校、宮野森小学校との交流や、日本の学生サポーターとの活動を行っています。
2016年のチームは、中心メンバー10人、サポートメンバー11人。3年目となり、宮野森小学校の特別支援学級との対話、5年生との対話を、日本からスタッフを派遣せず、彼らだけで実施することができました。

KSAのメンバー(東日本大震災追悼イベント)  

KOUGETSU SCHOOL ASSOCIATION(KSA)

小学生から高校生まで無料で学べる英語・日本語の語学学校「コウゲツスクール」のOBOG組織。メンバーは子どもたちに英語や日本語を教えるボランティアとして活動しています。語学学校は、日本のNGOがスマトラ島沖地震で被災した子どもたちの支援のために開設したものです。2016年からは、KSAが語学学校の運営と震災孤児向けの奨学金事業を担うことになり、NGOとして正式に登録して活動を開始しました。

高床式のTPMT図書館で、子どもたちと学生ボランティア  

TPM Tanyoe(TPMT)

団体名のTanyoe(タンヨエ)は、アチェ語で「わたしたちの村」という意味。バンダアチェから車で1時間弱のランビラ村で、地元出身の大学生が、子どもの放課後活動の場として立ち上げました。インドネシアの若者社会起業コンテストでグランプリを受賞したこともあります。「私たちの私たちによる私たちのための教育」をスローガンに掲げ、大学生ボランティアが、学習支援やさまざまなアクティビティ、イスラム教学習、図書館運営などを行っています。

アチェの若者たちが見て感じた東北の被災地

8月18日(木) イスナン、サフリアン、ラウダーの3人が仙台空港に到着
8月19日(金) 奥松島縄文村歴史資料館を見学
 せんだい3.11メモリアル交流館で語り部の被災体験を聞く。トークイベント「スマトラ沖地震と東日本大震災〜インドネシア・アチェの若者たちをむかえて〜」(主催:一般社団法人MMIX Lab)で3人も自分の被災体験を語った。
8月20日(土) 宮城県石巻市の被災地を見学(大川小学校旧校舎、日和山、南浜地域、鈴木造船所、西浜町津波避難タワーなど)
8月21日(日)  「子ども記者になってインドネシアの若者と宮戸島を探検しよう」(p.4に報告あり)
8月22日(月) 福島県の被災地ツアー(主催:NPO法人 野馬土)に参加し、南相馬市小高区、浪江町沿岸部を見学
8月23日(火) 宮野森小学校での交流会の準備
8月24日(水) 宮野森小学校6年生と交流会。 仙台市内の高齢者施設などを見学
8月25日(木) 東京に移動
8月26日(金) 学生メンバーと都内自由行動
8月27日(土) 大田区内でホームステイ(協力:NPO法人 PoE International Exchange)
8月28日(日) 成田空港から帰国

石巻市の大川小学校旧校舎の前で話すイスナン  

「大川小学校旧校舎はぜひ残してほしい」

私も小学生の時に津波にのまれた経験があり、このような建物を見るとつらくなります。遺族の方々が見たくない気持ちはわかります。でも私はこの場所をぜひ残してほしいと思います。例えばこの場所の一部を改修して、中で防災活動などをやってはどうでしょう。訪問者はより前向きな気持ちになるのではないでしょうか。(イスナン)
※2016年3月、石巻市は大川小学校旧校舎を震災遺構として保存すると発表しています。

Facebook ツイッター YouTube